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パソコンよ 有難う!

今年もあと数日となった。この齢でこの一年、よく出かけたと思う・・・。多分,結構な 出席率ではなかっただろうか。講師の諸先生、そして同好会の皆さんに感謝し、心から 有難うと言いたい。 パソコンの内容を応用することがなく、すぐ忘れているが、頭の中の記憶装置には 少しは残っていると思っている。・・・・・そう思いたい・・・。 さぁー早速、来年のカレンダーの金曜日にも しるしを付けておこうかな・・・・。
最近の投稿

友の死

幼馴染のS君は、市体育館の近くに奥さんと二人で居を構えている。子供は県外だ。  奥さんがまだ若いのに認知症になってS君はとても苦労している。  パソコン同好会の帰り、”お~い、どうしているか・・・”と家を訪れ、話すことが日課?に なっていた。そのS君が入院していることを知ったのは10日ばかり立ってからだった。 ある日、見舞いに行かねば、との気持ちに駆られ、二度目の見舞いに行った五日後、 突然、亡くなった知らせが届いた・・・。 肺炎だった。 S君は長生きの家系で安心して いたのに・・・・。 焼場で一片の骨を拾い、葬儀では、友人代表として焼香をした。  奥さんは施設へ。空き家となった近くを、いま通ることはない・・・・。87年、共に生きた   縁とは、はかないものだ・・・・・。   まもなく四十九日を迎える。

国内で初めての生体肝移植

今月4日の山陰中央新報に、島根大医学部に30年前に国内初めての生体肝移植を 手掛けた記念の石碑が建立された。と報じている。  ”杉本裕弥ちゃん”(1歳)。 国内で初めて、お父さんの生体部分肝移植手術が島根医大 で行われたのは、1989年11月のことだった。  しかし、願いもかなわず、翌年の1990年8月24日、帰らぬ人となった。 同日夕、出雲市役所には、「ちいさな君が見せた頑張りと生命の尊さを 出雲市民はいつま でも忘れません」との垂れ幕が掲げられた。  市長代理として、山口県岩国市での葬儀に参列した。  この日はとても暑い日だった・・・。執刀された永末先生も参列しておられた。この地の 風習なのか、河原にテントを張った中の祭壇に裕弥ちゃんは、縦型の棺に納められていた。  顔は赤黒く、毛糸の帽子を被っていたのを今でも鮮明に覚えている。  30年前の思い出である・・・。  

おじいさんと外国人とマナー

東京は人が多い。電車が来ると空いた席を探す。中年の外国人女性2人の隣の席に座ると その女性が「オーケイ」と声をかけてくれた。確かにOKといった・・・・。意味が分からずそのまま でいたら長女が、その外国人に微笑みながら、〔大丈夫です」というようなことを言っている・・・。 後で長女に聞くと、外国人女性は、自分が体が大きいのでうまく隣へ座られますか。オーケイ ですか。といってくれたので大丈夫ですよ。と言ったというのである・・・。  恥ずかしかった・・・。たとえ、言葉が分からなくても雰囲気を読んで微笑みぐらい返すべきでは なかったか・・・。  マナーについても、いろいろ教えてくれた東京であった・・・・。

東京ものがたり

9月、娘夫婦が米寿の祝いに両国国技館に呼んでくれた。8年ぶりの東京は、老人もやさしく迎えてくれた。最高のお祝いをくれた大相撲観戦・・・。土俵前の砂被り一番前の席で力士の息遣いや、表情を聴きながら大相撲を楽しんだ・・・。  太鼓の音に送られながら歩いて行った、ちゃんこ 料理屋のちゃんこ鍋も美味しかった。  絢爛豪華な迎賓館・・・。今年4月改修されたばかりの「朝日の間」。彩らん、花鳥、羽衣、の間。 安倍総理が即位礼の時、外国の賓客をお迎えされたその場所だった。 その日、オリンピックコースで、マラソン代表選考レースがあり、市ヶ谷で応援・・・・。  一度はいってみたかった江戸での落語・・・・。新宿末廣亭で半日を過ごした。とりは柳家小さん師匠だった。 もう一ついっ見たかった国立競技場・・・。工事中で全体は見られなかったが、木の ひさしが斬新だった。  千載一遇・・・、東京駅前で、皇居に入られる雅子皇后の車を間近にお送りする。偶然。  元朝香宮邸も見て、オリンピックや、ラクビーのマスコットキャラクターのいる東京都庁やスカイツリーも・・・・・。 最後は、来年2月で中国に行くパンダのしゃんしゃんに会って、東京は、さよなら・・・・・。  歩けるだろうか心配だった足・・・。東京の人並みは、やはり魅力一杯だった・・・・・・。  5泊6日のものがたりは終わった。 ^  

人物誌を読む会・・・後日談!

U先生には、びっくりである。 過日3日、ニューウエルシテイで会合があり、人物誌を読む会を 終わりにして、新しく「ふるさと偉人伝を読む会」として発足することと なった。そして、U先生の健康を考慮して、月1回を、2ヵ月に1回 に変更して開催することになった。 96歳の先生に元気をみせられては、こちらもうかうかしてはいられ ない・・・・。 昨日、私も87歳の誕生日を迎えた・・・。まだまだ頑張らなくては・・・。 パソコンの人たちや、こうした会の人たちが、いまでもお付き合いして くださることを毎日感謝している。  

長女・・東京へ飛ぶ・・‼

長女の旦那が転勤になって長女は東京に住むことになった。 急遽、子供たちが米寿の祝いの小宴を開いてくれた。しかし、それは しばし別れの宴ともなった。 我が家はどうしたことか家族の少ない家系で、肉親は、東京(この度)、名古屋、大阪に 点在し、僅かに孫娘が松江市にいるだけとなった。 老・老、相和し、体と頭をオーバーホールしながら、人生はもう少しを、もうちょっと 伸ばし、パラリンピックの来る頃までを、ケセラ、セラ・・・でやりますか・・・。