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友の死

幼馴染のS君は、市体育館の近くに奥さんと二人で居を構えている。子供は県外だ。
 奥さんがまだ若いのに認知症になってS君はとても苦労している。
 パソコン同好会の帰り、”お~い、どうしているか・・・”と家を訪れ、話すことが日課?に
なっていた。そのS君が入院していることを知ったのは10日ばかり立ってからだった。
ある日、見舞いに行かねば、との気持ちに駆られ、二度目の見舞いに行った五日後、
突然、亡くなった知らせが届いた・・・。 肺炎だった。 S君は長生きの家系で安心して
いたのに・・・・。 焼場で一片の骨を拾い、葬儀では、友人代表として焼香をした。
 奥さんは施設へ。空き家となった近くを、いま通ることはない・・・・。87年、共に生きた 
 縁とは、はかないものだ・・・・・。   まもなく四十九日を迎える。

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