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11月, 2019の投稿を表示しています

友の死

幼馴染のS君は、市体育館の近くに奥さんと二人で居を構えている。子供は県外だ。  奥さんがまだ若いのに認知症になってS君はとても苦労している。  パソコン同好会の帰り、”お~い、どうしているか・・・”と家を訪れ、話すことが日課?に なっていた。そのS君が入院していることを知ったのは10日ばかり立ってからだった。 ある日、見舞いに行かねば、との気持ちに駆られ、二度目の見舞いに行った五日後、 突然、亡くなった知らせが届いた・・・。 肺炎だった。 S君は長生きの家系で安心して いたのに・・・・。 焼場で一片の骨を拾い、葬儀では、友人代表として焼香をした。  奥さんは施設へ。空き家となった近くを、いま通ることはない・・・・。87年、共に生きた   縁とは、はかないものだ・・・・・。   まもなく四十九日を迎える。

国内で初めての生体肝移植

今月4日の山陰中央新報に、島根大医学部に30年前に国内初めての生体肝移植を 手掛けた記念の石碑が建立された。と報じている。  ”杉本裕弥ちゃん”(1歳)。 国内で初めて、お父さんの生体部分肝移植手術が島根医大 で行われたのは、1989年11月のことだった。  しかし、願いもかなわず、翌年の1990年8月24日、帰らぬ人となった。 同日夕、出雲市役所には、「ちいさな君が見せた頑張りと生命の尊さを 出雲市民はいつま でも忘れません」との垂れ幕が掲げられた。  市長代理として、山口県岩国市での葬儀に参列した。  この日はとても暑い日だった・・・。執刀された永末先生も参列しておられた。この地の 風習なのか、河原にテントを張った中の祭壇に裕弥ちゃんは、縦型の棺に納められていた。  顔は赤黒く、毛糸の帽子を被っていたのを今でも鮮明に覚えている。  30年前の思い出である・・・。  

おじいさんと外国人とマナー

東京は人が多い。電車が来ると空いた席を探す。中年の外国人女性2人の隣の席に座ると その女性が「オーケイ」と声をかけてくれた。確かにOKといった・・・・。意味が分からずそのまま でいたら長女が、その外国人に微笑みながら、〔大丈夫です」というようなことを言っている・・・。 後で長女に聞くと、外国人女性は、自分が体が大きいのでうまく隣へ座られますか。オーケイ ですか。といってくれたので大丈夫ですよ。と言ったというのである・・・。  恥ずかしかった・・・。たとえ、言葉が分からなくても雰囲気を読んで微笑みぐらい返すべきでは なかったか・・・。  マナーについても、いろいろ教えてくれた東京であった・・・・。