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八十八の年

数えて八十八歳になった。世にゆう 米寿である・・・・・ 
正月、床に 今まで掛けることのなかった 頼山陽の書、八十八の賀を寿き詠でる と書かれた
掛軸を掛けた。そして、棚には、木彫りの福禄寿を飾った。 箱には、住吉大社畔 主水とある。
米寿を迎えてもまだすることは一杯ある。なかでもパソコンの勉強は毎日の生活の中で元気のでる頼もしい味方である。 パソコンの先生方に心から感謝 感謝です・・・・・・。
それでも今年は、身辺整理の年になるようだ・・・・。




















コメント

  1. 🎊🎊  米寿  🎊🎊
    おめでとうございます
    いつまでも お元気で 
    パソコンの勉強続けてください
    若輩者に 元気を与えてください

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  2. 有難うございます。
    今年もついて行きますので
    どうぞ、よろしくお願いします・・・。

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  3. 私よりも10歳年上なんですね。
    それにしては、あなたは若い。

    人生もう少しなんて言わないで、
    人生まだまだと、
    楽しんでください (^0_0^)

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  4. 中身はガタガタでいつ壊れるか分からない
    ・・・・。パソコンは修理できませんが、
    我が身はいたわって、修理しないように
    気を付けています。
    それでも、楽しむ気持ちはまだ、あります
    から・・・・。

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